メンズコスメ DOORS

Special Interview Vol.2 呉屋 貴教
[元プロバスケットボール選手]

『アスリートのEDGE、
男のEDGE』

呉屋 貴教
(バスケットボールスクール ground work 代表、元プロバスケットボール選手)

沖縄県宜野湾市出身。ポジションはポイントガード/シューティングガード。幼い頃からバスケットボールに親しみ、コザ中学校では全国大会優勝。北中城高進学後も3年連続でインターハイ、ウィンターカップ出場。日本大学では全日本学生選手権優勝に貢献し、U-24日本代表にも選ばれた。2006年に富山グラウジーズにドラフト1巡目で指名されプロ契約。その後、大阪エヴェッサ、ライジング福岡、東京アパッチ、信州ブレイブウォリアーズ、和歌山トライアンズに所属。11年間のプロ生活のなかで、3度bjリーグオールスターゲームに出場。現在は富山県にバスケットスクールを開校し、子どもたちの育成をテーマに指導者として活躍中。

スケットボール

今日は「アスリートのEDGE、男のEDGE」というテーマで、呉屋さんの生き様、ライフスタイルなど、「アスリート 呉屋貴教」を形成するコアな部分のお話しをおうかがいできればと思ってます。よろしくお願いします。
まず、幼少の頃からバスケットボールと慣れ親しんできたとうかがいましたが、最初にバスケットボールを触った記憶は何歳の頃でしょうか。

確か4歳か、5歳の時ですね。小学校に入る前からボールで遊んでた記憶があります。

沖縄でも盛んだった野球ではなく、バスケを選ばれたきっかけは何かあったのでしょうか。

親父がバスケット選手だったのでその影響が大きかったですね。小学校時代は野球もやってましたが、10歳の頃、親父があまりに姉にバスケを勧めるものですから、「オレがやるよ」といって始めたのが本格的なバスケ人生の第一歩でした。

最初は野球少年だったのですね。コザ中学校では全国大会優勝。北中城高で3年連続インターハイ、そして日本大学在学中には全日本学生選手権優勝し、U-24日本代表にも選出されました。ポジションは学生時代から一貫してガードをつとめたのでしょうか。

そうですね、背も一番高くて周りからは「勝つためには、呉屋をセンターにした方がよい」と言われてたようなのですが、私のコーチが理解ある方で「センターをやったらそれしかできなくなる、こいつはもっといろいろなことできるので」と言ってくれて、高校時代はフォワード、プロになってからはガード一筋です。

部活、学生時代のバスケ生活で得たモノは様々と思われますが、「部活」というワードで一番記憶に残っていることは何でしょうか。

中学校の練習が本当に無茶苦茶きつくて。プロも11年やりましたが、中学校の練習が一番きつかったですね。日体大出身の監督で、女優の満島ひかりさんのお父さんなのですが、あの方が私の恩師です。無茶苦茶、走らされましたね。本当にきつかったです。でも、面白い指導も織り交ぜられてて、授業終わって部室にいって「魚」のマークがあったら「漁港まで走れ」という意味なんですね。15km離れてるんですけど(笑)。あと、じゃんけんで勝ったらプール、まけたら漁港とか楽しくゲーム感覚も取り入れてくれてましたね。

場助っ人

恩師から、バスケット選手である前に「場助っ人選手、場の助っ人選手」であれ、と教わったとうかがいました。

はい、満島先生の教えです。例えば、朝練前に地域の清掃を毎日6時半からみんなでやってました。7時まで掃除して、それから朝練です。すると地域の方々とも次第に交流が生まれてきて「勝ったね」「負けちゃったねぇ」という声もかけていただけるようになりました。全国大会に出場した時には、本当は出場選手しか遠征できない予定でしたが、地域のみなさんが寄付金を集めてくれまして、応援の学生70−80人の旅費もサポートいただけ全員で遠征できました。「場の助っ人であれ」という風にずっと教育され、練習はきつかったですが本当にいい環境でバスケをやらせてもらえました。

まるでプロチームとホームタウンのような、自分たちの生活している街という場のなかでのスポーツだったんですね。すごく素敵な監督さんですね。

練習は無茶苦茶きつかったですけど(笑)

高校卒業後に沖縄から東京の大学へと生活環境も変わりましたが、苦労した点などありましたでしょうか。

最初はBIGINを聴きながら泣きそうでした。沖縄に帰省する日めくりカレンダー作ったりとか……沖縄では大学バスケの知識が全くなかったので、日大に進んだものの学校の場所もどういう学校かもぜんぜん知らないうちに上京したので……入部すると日本代表の先輩が4、5人いて「えらいところに来てしまった……」と思い最初の3ヶ月は沖縄に帰ることしか考えてませんでしたね。

呉屋さんにもそういう時期があったんですね(笑)

みんなガンガンダンク決めたりアリウープ決めたり当たり前だったので、自分はやっていけるのか不安でしたね。全国の優秀な選手が関東に集まるので、「県内で」がそれまでは自分の全てで「県内で活躍すること、勝つこと」だけが目標でしたから。

その後、全日本学生選手権優勝に貢献され、U-24にも選出されるまでになったのですね。

はい、バスケに対しての取り組み姿勢に自分のなかで火がついて、先輩に追いつこうと必死で練習を重ねました。

プロ

2006年に富山グラウジーズにドラフト1巡目で指名され、プロ選手となりました。プロ契約以外の選択肢もありえたと思いますが「プロとして挑む」と決意した当時の心境をお聞かせください。

実は三菱電機にほとんど決まってたんです、あとは契約書にサインするだけというところまで。もともと1−2年日本でプレーしてからアメリカにトライしたいという思いがあったのですが、三菱電機に入ったあとに退部となると、会社と大学の関係性にご迷惑をおかけするということもあったので、アメリカへのトライに理解のあった富山グラウジーズとプロ契約しました。あと、実力次第で試合に1年目からガンガン出場できる環境にもひかれてプロ入りしました。

心技体を極めることがどの世界でもプロとして生き残るために必須と思われますが、呉屋さんが現役中に徹底していたポリシー、常にプロとして心がけていた点などお聞かせください。

一番は「自分を信じる」ことですね。プロ生活の間ずっと自分のテーマでした。浮き沈みや怪我も度々あって、何度も闇が襲ってくるのですが、その闇に負けないように自分を信じる。そのためには、練習しかないんですね。とにかく練習して、自分を洗脳するように「できる!」ということを自分自身に植え付けていくという「自分との戦い」でしたね。

プロ生活のなかで、最も印象に残っているシーンは何でしょうか。

やはり外国人選手とマッチアップする時ですね。2m超える選手と対峙するのはすごくワクワクしましたね。プロ入り当初は外国人枠もなかったので、コート上に8人外国人がプレーしている時もあったくらいです。

縄と富山

南の島発、メンズコスメDOORSはキー成分に沖縄の恵みを取り入れ、商品撮影もオール沖縄ロケでした。沖縄のカルチャー、自然、暮らし、のなかで生まれ育った呉屋さんのコアな部分に、一番強烈にインパクトを与えたものは沖縄の何でしたでしょうか。

沖縄の「助け合い精神」ですかね、やはり。各地でこれまで生活してきたので、沖縄の良いところも悪いところも見えるのですが、本当におせっかいなくらい関わってきてくれるので。富山でも沖縄出身の後輩がいると、もうほっとけないんですよね、私も。やはり自分もされてきたので、ほっとけない。ちょうど先週沖縄に帰ったのですが、すると親戚30−40人が集まって、みんなで昔のように飲んだり話したり一緒に過ごして、、、助け合いの「ゆいまーる精神」が今もあるということが沖縄の一番良いところだと思います。あと、自然、海、特に夕陽ですね。住んでる時はぜんぜん気づかなかったのですが、一度島の外に出て戻ってくると、「こんなに美しいものなんだ、夕陽って」と帰省する度に感じてます。

沖縄から離れた富山でいまスクールを通じて、子どもたちの育成に活躍されてます。なぜ富山を本拠地、ベースとしたのか、新たな挑戦の場に指導者の道を選ばれたきっかけとは何だったのでしょうか。

現役続行か引退か、2ヶ月間かなり悩みました。数チームからオファーもいただいてたのですが、まだ子どもも幼いので家族と一緒にいる時間をつくりたいという思いが強くなってきた時に、お世話になった地元の方から「指導者の道を進んでみないか?大学の監督はどうだ」とお声かけいただいたことで決心しました。

教えることは苦手だったのですが、アドバイスすると大学生のプレーが大きく変わることが続いて、現役時代とは違うやりがいを感じはじめましたね。そのうち子どもたちも教えてほしいと言われはじめ、最初は週末に何人か教える規模だったのですが、次第にコートいっぱいになってきてスクール開校したのが始まりです。

確かに自分が練習してハードルを超えるのと、人に指導してその選手がハードルを超えて行くことは別物ですよね。

バスケ未経験の子どももいて教えるのがなかなか最初は難しくて、、でも3−4ヶ月一緒に練習して、シュートがリングに届くか届かないかくらいだったその子がシュートを初めてバシーンと決めたりすると、自分自身が感動してしまって、、、涙がでてきました。本当に自分のこと以上にうれしかったです。その子の人生で最初のシュートだったと思うので、すごく感慨深いシーンでいまでも鮮明に覚えてます。

メンズコスメDOORS

いつもスタイリッシュな呉屋さんですが、メンズグルーミングで常日頃ケアされてることはありますでしょうか。

いままでは特別なボディケアって何もやってなかったのですが、自分も35歳になってこれから意識してケアしていこうとちょうど考え始めたタイミングです。

DOORSをお使いになられての感想を一言いただけますか。

ファーストインプレッションとしては、「カッコいい!」でしたね。箱を開けた瞬間にテンションが上がるアイテムだと思いました。そして使ってみると、香りが爽やかで一番気に入ってます。あとボディウォッシュも、ガラス瓶に入っていて自分で泡立てるスタイルがアメリカっぽくて気に入りました。クリーミーな泡立ちもとてもいいですよね、洗い上がりもスッキリしますし。

ちょうどいまトレーニング関連の新商品を来春発売目指して開発中なんです。僕らもよく話すのですが、パッケージにもこだわって「商品体験自体も楽しめるように」、そういう商品づくりをしていきたいと考えてます。ですのでDOORSのデザイン、スタイルへのこだわりはすごく参考になりました、型にはまってないところが特に。ボディウォッシュって普通はポンプ式のプッシュだと思うのですが、自分で泡立てるという準備も含めて楽しめるスタイルがいいですよね。

ありがとうございます。「毎日のバスタイムに、ひと時のグルーミングタイムを」と考えてきましたので、呉屋さんのような感想がお聞きできるとうれしいです。来年のエッジの効いた新商品を楽しみにさせていただきます。

バスケクール

プレイヤーから育成者/指導者へと立場が変わりました。呉屋さんの子どもたちの指導ポリシーを教えてください。

スクールを始めた時、おとなしい子ばかりだったんですよ。最初はそれを開放したいなと思いました。僕のスクールのテーマは「やらされることを、やりたいことに変えよう」です。本当に自分がやりたいからやる、というチームにしたかった。その意識を変えていくと、子どもたちもだんだん笑顔が増えてきました。そして、楽しみながら好きになりながら「基礎」を学ぶことに重点をおいています。「基礎」こそが無茶苦茶大切で、基礎はその子にとって将来の武器になっていきますので。「基礎」をやりながら「好きに」なってくれることをテーマに教えています。

いかに子どもの自発性、「学ばせ」ではなくて「学び」を引き出すかですね。

そうですね、子どもたちはほっとくと5−6時間テレビゲームやりますよね。同じような集中力で、バスケにのめり込んでもらえるようにしていきたいですね。

この夏、NBAユタ・ジャズのアシスタントコーチ、アントニオ・ラング氏を富山に招聘されました。世界最高峰の指導を受ける子どもたちの反応はいかがでしたでしょうか。

ボールを2個使ったドリブルや片足でバランスを取りながらのシュートなど、現役NBA選手もやる練習も指導してもらいました。「基礎が大切だと勉強になった」「バスケは身長だけではなく、ハートのデカさとスキルだと教えてもらった」というような子どもたちの声もあり、非常に貴重な経験と学びの場が実現できたと思います。

富山県内の7地区でスクール開設されていますが、今後もスクールは増やしていく予定でしょうか、また富山以外での開校も構想にありますでしょうか。

新たなチャレンジとして、キッズスクール(2〜10歳)の開校準備をいま進めています。バスケに特化せずにサッカーも野球も陸上もゴルフもいろいろなスポーツのベース(基礎)作りをテーマとした幼児プログラムです。ドクター、トレーナーと塾の先生と一緒にメソッドをいま作っていて、「楽しみながら運動能力を上げて知育も上げていく」というテーマのスクールを来春スタートさせます。

それは楽しみですね!バスケに限定せず、ヨーロッパのクラブチームの育成組織のようなイメージなんですね。

そうですね、全てのスポーツの「土台」づくりをサポートしていきたいと思ってます。クリティカルエイジという理論があって、スポーツは10歳までにどういった経験をするかがとても重要で、10歳までの成長曲線が人生のなかで一番凄いんです。その大切な時期に、いろいろな刺激を受けることができる環境づくりが私たちの目標です。

アスリートのEDGE、
のEDGE

歴史上の人物、役者、アスリートなどでEDGEが効いてる生き様を感じる人はだれかいますでしょうか。

そうですね、、松本人志さんと、ビートたけしさんですね。周囲の声に決して流されず、自分の確固とした意見を持っているスタイルに憧れますね。

「男のEDGEを呼び覚ます」ことをDOORSはブランドメッセージとしているのですが、ご自身のコアとして形成され脈打つ、呉屋さんご自身の「男のEDGE」とは何かを最後にお聞かせください。

「逃げない」という言葉ですね。自分は幼い頃からこれまで、どんな局面でもこの言葉とともに生きてきた気がします。その生き方が、いまの自分自身にもつながってきていると思ってます。

おうかがいしてきた呉屋さんの生き様が感じられるキーワードですね。ぜひこれからも富山の子どもたちの、日本の子どもたちの「基礎」を育み伸ばしていっていただけることを願っています。本日はありがとうございました。

こちらこそ、ありがとうございました。これからも、「自分からやりたい」と思う子どもたちの気持ち、「スポーツが好きだ」という気持ちを伸ばしていければと思ってます。